MS(多発性硬化症)とともに~生きる

10代後半から多発性硬化症と付き合ってきました。 今日1日を精一杯生きる~そして明日へと繋ぐ~

F先生

最初の治療の時、F先生に従ったというのは、F先生がこれまでずっと研究職についておられて、臨床は久し振りだったからだ。彼は3年ほどボストンのチルドレン・ホスピタルという所で研究していた。多分土日返上で。

実は20年くらい前にK大学病院で彼は私の主治医だったのだ。彼は礼儀正しいだけでなく、親身になって扱ってくれた。自分は帰国子女で(ニューヨーク生まれ)いじめられたが、何とか克服した、と言って別室で励ましてくださった。他にも私がすぐ泣くので心療内科にかかるよう計らって、女性先生の前で私は多くのことを話しているうちに、貴女は6個くらい大きな荷物を抱えています、1個捨てなさいと言われた。私は母を失望させたという思いが自分を責めていることに気付き、それは病気のせいだったんだと気付きそれをポンと捨てた。そして以来自分を責めては泣かなくなった。

多分これもF先生の時だと思うが、定かではない。

私にとって九州大学病院で印象に残っているのは教授とF先生だった。

それからF先生はどこにいるのだろうかとずっと探し回っていた。九州大学神経内科のホームページにはO大学で長期間国内留学、再生医療の勉強をされているようだった。

それからいきなりボストン、そして今のKK病院の神経内科に赴任されてきたのだった。奇跡だと思った。こんな形で会えるなんて・・・。

最初に彼は言った、僕は臨床を長くしてないから他の先生に変わってもいいよ、と。私はとんでもないと言った。私のこと覚えていますか?もちろんだよ、と言いながら何でも話せる先生になっていった。先生を笑わせるのが趣味みたいになって。

だから何故か先生に逆らえなかった。今回のことに関しても別に責めていない。

12月は何度お会いしただろうか。そのたびに嫌な顔もせず真剣に対応してくださった。それだけでも充分、これまで出会った先生の中でも貴重な先生の一人なのです。