軽井沢でのキャンプ
聖書は分からないものの、読んでいるうちに人間によって書かれたものではないことが否定できなくなっていた。中学の頃から目に見えない大いなるものに祈っていたものが聖書の神だったのかと思うようになった。
私母を連れて、上高地に行くことを口実に丁度夏休みに軽井沢のキャンプがあることを知って参加した。私は母に認めてもらいたかったのだ、変な宗教でないことを。
聖書のメッセージはちっとも頭に入らなかったけれど、ベックさんの家に母と一緒に行って簡単なお話があり、ベックさんのお祈りの後に続けてお祈りをした。母は少し抵抗があるようだったのは無理もない。
あるお宅で姉妹(女性)ばかり集まってお茶をしながら悩みなどを話していた。母は皆綺麗な顔を(美人という意味でなく)しているねと言った。
軽井沢の清々しい空気と美しい木立を楽しんだ。
帰ってきてから、私は洗礼を受けた。後でわかったことだが、牧師制度はないものの集会とはいえどもその本質とするものは違っていた。