医療短大の頃
K大の医療技術短期大学部の衛生技術科に入学、将来臨床検査技師になる学科だ。
入学したものの何のやる気もなく無気力だった。結局女の子は可愛ければいいのよね、と勝手に折り合いをつけて「ぶりっこ」をやっていた。
授業はいい加減で仲間と途中で抜け出して、近くのH公園でゴロゴロしていた。昔の友達に言ったら、信じられないと皆口をそろえて言った。
朝は起きられず(疲れやすかったからか夜更かしのせいか分からない)、途中から行くのは嫌だなと結局授業はさぼった。母に知れて母を悲しませた。
本学のマンドリンクラブに入った。ギターが好きで入ったが、指の力が弱く、楽譜も読み辛く(ものが二重に見えていたのかもしれない)誰よりも下手だった。
青春の貴重な時間は自分探しに費やされた。
何もかも中途半端だった。教授から入ったときは成績が良かったのに、どうしたのかね、と言われた。
それでも何とか卒業した。国家試験にも受かった。何の気なしに取った国家資格は後に身を助けるものとなってくれた。
17歳の時
2001年にK大学病院でMSの診断がついた後に分かったことだが、大学病院に入院中、市民公開講座があった。それは、MS(多発性硬化症)に関するもので、「こんな症状はありませんか」というパンフレットがあった。それに、人の言っていることがわからないetct…と書いてあった。
病院に戻ってから教授に聞いた。高校2年の時、急に先生が言っていることが口をパクパクしているだけで何を言っているのか理解できなくなったんですけど…。
教授は言った「それはMSの徴候でしょう」と。
17歳の時からずっと悩んできた。それまでは試験の前に一夜漬けで朝まで勉強していたが、それ以来いつの間にか眠ってしまい、気がついたら朝が来ていて悪夢のようだった。
急に頭が悪くなって成績は落ちていった。自分では受からないと確信できたK大学も、母の期待があったため受験して当然の如く落ちた。その年に衛生検査技師学校だったのが、3年制の医療技術大学部として遅めの入試があったので、そこに転がり込んだ。
17歳の時から自分が自分でなくなったようで、診断がつくまで一人で悩み苦しんできた。
一番キラキラしている年頃の17歳の私にとっては、残酷ともいえる出来事だった。
痛覚
前に骨折した際、痛みをほとんど感じなくて痛覚が無いことに気付いたことを書いた。
今回の手術後もほとんど痛みは感じなかったから、先生に痛覚が無いかも知れないと伝えた。
神経内科では爪楊枝でチクチク刺して痛覚を調べる。私は刺しているのはわかるが、痛みをほとんど感じなかった。
また、触覚を調べる時は刷毛を使って色んなところを撫でていく。私はこれも感覚が鈍っていて苦手な検査だ。額を10とすると右手はいくつですか、左手は?右足は?左足は?と聞かれると数字に矛盾が生じてきて最後には訳が分からなくなる。
あと、温度覚。これは自分でお風呂でお湯をかけてみるが、やはり鈍いと感じている。
こういう検査は神経内科ならではのもので、最初は先生が色んな道具を持ってくるから変な科だなと思っていた。でも大事な検査だ。
そして、これも言わなければ他の人にはわからないから、出来るだけ伝えるようにしている。
厄介な病気だ。